こだわらずに選ばれる万年筆

昨年11月に亡くなった伊集院静氏の小説を、最近ずっと読んでいます。

そのモノの言い方や考え方が好きで、エッセイは発売されるたびに買って読んでいましたが、そういえば小説は短編以外あまり読んでいなかったと気付いて読み始めました。

長編ばかり選んで読んでいますが、こんなに面白い小説を書いていたのかと、今頃になって小説の伊集院静の世界に浸っています。

伊集院氏の小説は昭和の香りがして、懐かしさを感じながら読んでいます。

昭和と今とでは何が違うか具体的に言えないけれど、昭和の方が全てが不透明で、理不尽なことが多かったように思います。今で言う、色々なハラスメントが日常に普通に存在していました。

比較すると今の方が公平で、見通しの良い世の中になったと思うし、進歩したのかもしれないけれど、暗い昭和の時代を懐かしく思ってしまいます。

そういっても平成になったのは私が大学生の時なので、社会人生活も平成から始まりました。

世の中が変わったのは年号が変ったからではないと思うけれど、平成になってしばらくしていろんなことが急激に変わり出したと、同じ時代に生きた人なら感じていたと思います。

そんな変化する前の世の中の雰囲気を、伊集院静氏の小説から感じることができます。

趣味の文具箱でも以前紹介されていましたが、伊集院静氏は万年筆で原稿を書き続けた小説家でした。

主にモンブラン149を愛用していたようですが、モノにこだわることを嫌う伊集院氏ならそういうことも言われるのも嫌だったかもしれません。むしろこだわらないからこそ、いつも149を使っていたのかもしれない。

豪快なイメージとは違って、繊細で美しい文字を書く人だと思いました。

私の感覚だと149はたしかに握りやすく、長時間書くのに疲れにくいかもしれないけれど、コントロールのしやすさで言うと、146やペリカンM800の方が適度な太さなのではないかと思ってしまいます。手の大きさの違いだろうか。

私も149をよく使っています。自分なりのあたたかみのある文字が書けると思っていますし、多くの文豪が道具として酷使して、使い潰したものと同じものを使っていると思えることが愉快に思います。いずれにしても書いていて楽しい万年筆であることは間違いありません。

時代は常に移り変わり、仕事のやり方もどんどん変わっていくけれど、変わらずにあるモノは、必ず店で取り扱っていたいと思う。

そのひとつが定番の万年筆たちで、時代が変わって色々なモノが淘汰されていっても、いい万年筆は変わらずに書く喜びを私たちに感じさせてくれます。そのひとつが伊集院氏がこだわらずに酷使した149なのだと思います。

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