勝負万年筆のケース

勝負万年筆のケース
勝負万年筆のケース

勝負万年筆を作りなさいとある人がアドバイスしてくれました。

その言葉にどんな根拠があってどんな意図があるのかは別として、それはなるほどと思い当たることがありました。
常用している13本の万年筆は字幅の細いものだけに手帳用という役割はありますが、どれを使うかというのはその時の気分次第で、どの万年筆が13本の万年筆の中の主役なのかはっきりしていませんでした。

そんな万年筆への対し方は色々な事への反省であって、ひとつひとつのことに対して、自分の意図や狙いを明確に伝えてはっきりさせなくてはいけない。
その第1歩が勝負万年筆を作るということなのだと思いました。
勝負万年筆というと、万年筆1本だけ持って出るという状況で選ばれるべきもので、ただ気持ちよく書けるということだけでなく、自分の精神的な支えになってくれる杖のような役割も担っているはずです。

万年筆を持って出るというふうに考えた時に、私は旅に出るということを考えます。長期間の旅に出る時に私がその1本だけを持って出ようと思うものは、インクがたくさん入って、タフな性能を持った大きな万年筆です。

ペリカンM1000、モンブラン149、デルタピストンフィリングなどの万年筆は、大きいけれど私は自宅の机のみで使おうとは思わない。
小さなペンは携帯に向いていてポケットに差し易いけれど、小さいので作りが繊細です。それに対して大きなペンはインクはたくさん入るし、頑丈にできている。そして何よりも守り刀然としている。

支えてくれるだけでなく、自分の身を守ってくれる短刀に近い存在が前記の大きな万年筆です。
そしてそういった勝負万年筆は胸ポケットに差したりするものではなく、ペンケースに収めて持ち出すことは、皆様感覚的に分かっていただけると思います。

ペンケースはペンを収納して、保護しながら持ち運ぶものですが、ただ入れ物だけの役割かというとそうではないと思います。
入れ物だとすると、最小限の大きさで最大本数の万年筆を持ち運べることがその性能になりますが、それだけではない。
自分がいかにその万年筆を大切に思っているか、そのペンケースから万年筆を取り出す所作から、自分が最も大切に思っている、書くという行為は始まっている。そういう時のペンケースは1本差しでなければならないと思いました。
それはそうで、自分の勝負万年筆が他の万年筆と一緒に入っていたら可笑しいような気がして、主役にはそれなりの場所を用意しなくてはいけない。

現在勝負万年筆を収めたいと思うペンケースをイル・クアドリフォリオの久内(きゅうない)さんが作ってくれて、6月2日(土)にお披露目予定です。

昨年末から、WRITING LAB.として久内さんたちと打ち合わせをしていて、かなり時間がかかりましたが、色々試行錯誤して下さり出来上がりました。
シガーケースタイプの1本差しペンケースで、フィレンツェ伝統のブセット(熱ゴテ)による絞り技法に、パテーヌ(色付け)したペンケースは、美しい光沢と滑らかな手触りに仕上がっています。

文字入れや特別色のオーダーもでき、それぞれの勝負万年筆に合った仕様にできるところも面白いと思っています。

*画像はサンプル画像です。入荷しましたらホームページでご案内させていただきますので楽しみにお待ち下さい。

刀匠 藤安将平の卓上小刀

刀匠 藤安将平の卓上小刀
刀匠 藤安将平の卓上小刀

私たち物作りや販売に携わる人間は、常にこういうものを見て、その姿形だけでなく、物作りの作法を肝に命じておかなければならないと思っています。

私たち販売者が作法に則ったものをお客様に紹介ければ、作法は失われていきます。
世の中何でもありで、常識にとらわれてはいけないという言い方もありますが、それは時勢など移り変わるものに対してで、物作りに対しては外してはいけない道理がありますし、守らなくてはいけない作法があります。

それらは明文化されているわけではありませんが、日本人が皆潜在的に持っている、そのDNAに刷り込まれているものなのかもしれません。

作法の姿形を知るのに伝統工芸のものは良いお手本になってくれます。それらを見ることによって、身近に置くことによって、無作法なことをしないようにしたいと思っています。
私たちは刀鍛冶の仕事をすごいと思うし、日本刀に美しさや芸術性を認めて良いイメージを持っています。

誰もが素晴らしいと思うけれど、最も生活から遠いもののひとつが日本刀だと思いますし、私も刀匠という仕事の人が存在していることにリアリティを持てませんでした。
でもその仕事を知って、後世に伝え残していかなければいけない技術だと思いました。

この卓上小刀は、正倉院にも保管されている刀子(とうす)をルーツに持つ、武士が刀とともに携帯した小柄小刀の刀身を短くし、現代でも持ち歩けるようにしたものです。
刀身は鋼の中の厳選された部分である玉鋼(たまはがね)。
朴の木(ホウノキ)の鞘の鯉口部分(鞘の入り口)は花梨、柄頭は櫨(ハゼ)、柄は黒柿の真黒と全てに最高の素材が使われています。

こういった行き届いたものを見て、触ることは万年筆を知ることにも繋がると思いました。

例えば本体を鞘に仕舞う時、コクンと鞘が本体をつかむような感触がわずかに手に伝わりますが、これはキャップの締まり具合のお手本になる。
切りやすい刃物ならカッターナイフの方が簡単に手軽に切れるかもしれませんし、手入れも刃を折って捨てるだけです。
でも何度も例えば紙を切ってコツがつかめてくると、切れ方に「味」があることが分かります。
この味を知ると今まで使っていたものがとても味気のないものに感じられる。

書きやすい筆記具ならいくらでもあるし、万年筆の中にも手軽に簡単に気持ち良く筆記できるものがあります。
でもそれらの中でも味を持っているものはどれくらいあるのだろうかと考えます。
実用的な理由があって使われる素材や製法など、万年筆作りでも考えなければならないものだと思います。

この小刀は、福島県の刀匠藤安将平(ふじやすまさひら)が鋼の鍛錬から鞘の設えまでの全ての仕事をしたもので、日本刀の技術、素材をそのままに、文房具としての刃物に仕立てたものになっています。

藤安刀匠は、人間国宝・宮入行平の高弟で、師の遺志であった日本刀が最も優れていた室町時代以前の刀「古刀」の再現を目指して日々作刀に打ち込まれています。

池波正太郎氏は「万年筆は現代人の刀だ」と言った。腰にある刀によってその武士の品格を見られたように、持っている万年筆によってその人の品格を見られる世の中であって欲しいと思うのは、万年筆店だからこその願いなのかもしれません。

でも私は真剣に、万年筆は我々現代人の刀で、我々の文化的作業である書くということをいかに大切にしているかを表す道具で、精神的には武士の刀と大きく離れてはいないと思っています。

万年筆店に刀鍛冶が作った小刀がある理由はそんな願いと、物作りの作法のお手本を身近に置いておきたいというところなのです。

粋な文房具

粋な文房具
粋な文房具

意外に感じる人もいるかもしれませんし、上手くいかないこともあるけれど、実は粋でありたいと思っています。
非常に曖昧な概念で、これが粋なのですとなかなか具体的な指し示せるものではありませんので、深く考えると哲学的な話にさえなってしまうかもしれません。

でも私が目指す粋ということをなるべく簡単な言葉で言い換えるなら、少し違うかもしれないけれどスマートでありたいというところでしょうか。
いろいろ誤解を受けたり、たまに天邪鬼と言われるけれど、それは粋でありたいという気持からだったのです。

「粋の構造」(九鬼 周造著岩波文庫)。妙な図形が描かれた表紙に、そしてその題名に惹かれて読んだ本でした。
「粋の構造」は粋という言葉を精神的に、感覚的に、外見的に定義していて、その本によると粋というのは日本語独特の言葉であって、外国にはそれに近い意味合いの言葉はありますが、しっくり当てはまる言葉がないそうです。
日本語の粋は「iki」であって、どんな言葉にも言い換えることができないのです。

赤瀬川原平氏の「無言の前衛」からの引用ですが、粋と似た存在の言葉に「渋い」という感覚がありますが、渋いという感覚もその言葉も他の言語に当てはめることができないそうです。
物の在り方、美的感覚を表現した言葉である「渋い」は粋と同じではないけれど、非常に近いところもあるのだと、日本人には感覚的に分かるようです。
渋いという美的感覚は茶道の世界で最も大切にされた感覚だと思いますが、もちろんそれ以前から存在した感覚で、日本人の精神性にだけ存在するものなのです。
生き方や態度、物腰は粋でありたいと思っているのと同じように、自分が持つものも粋な物を持ちたいと思っていますし、何か物を作る時、粋という言葉を大切にしたものを作りたいと思っています。

粋なものというのは、これもまた具体的に表現することのできないものですが、例えばWRITING LAB.で作ったサマーオイルメモノートは粋を目指したものだと思います。
装飾のない素材を切り取っただけの設えですが、その素材には実は良質で手触りの良い丁寧に作られた革が使われている、そしてそんな誰も使っていないこのメモ帳を使うことが粋だと私は思っています。

私たちが最も大切にしている書くということを粋にこなすためのものを作りたいと思ったのです。
サマーオイルメモノートのようにシンプルで飾り気がないけれど実は良い素材を使っている、強いこだわりを持って作られているけれど、こだわっていないように見せる感覚は、粋という言葉からイメージされる物を作ろうとする時に1つの大切な要素になると思います。

木の杢を愛でる感覚も粋な心持ちからくるものだと思っています。
全て整っていて、個体差のない工業製品ではなく、ひとつひとつが違っていて自分なりの見立てをして、虫食いさえ景色と見て楽しむ。

工房楔の銘木カッターナイフ。
文房具として当たり前のものであるカッターナイフを木で仕立てる。
しかもただの木ではなく、杢の美しい銘木を纏わせる。
文房具にこだわる人なら、このカッターナイフの粋さ加減を理解してくれると思っています。

それぞれの素材によって、木目が違い、杢の出方も違う。使い込んだり、丹念に磨いたりしたときの艶の出方もそれぞれ違いますので、ある特定の素材を自分のものとしてそればかりを集めたり、様々な素材の違いを楽しむために様々なものをコレクションしたりと、それぞれの人が自分なりの楽しみ方を杢に持っている。
自分なりの楽しみ方、向かい合い方をそれぞれの人が持っているというのは、杢も万年筆も同じかもしれません。

万年筆を使う、書くことを大切にする心も粋だと私は思っていますし、粋に万年筆と付き合っていきたいと思っています。

⇒WRITING LAB. サマーオイルメモノート
⇒工房楔・カッターナイフ(机上用品TOP)cbid=2557546⇒工房楔・カッターナイフ(机上用品TOP)csid=5″ target=”_blank”>⇒工房楔・カッターナイフ(机上用品TOP)

思考の道具 キャップレス

思考の道具 キャップレス
思考の道具 キャップレス

大して難しいをことを考えるわけではないためか、机に向かって考えながら書くよりも、立ったまま書く方が集中力が発揮できるような気がします。
これは立った姿勢の方が体中の血のめぐりが良いからなのではないかと思っています。
外山滋比古先生が「思考の整理学」の中で言われていた、脳も体の一部なので体の血の巡りがよくなると脳も活性化されて当然だという説を信じているということもあります。

立ったままで書くことに一番適した場所だと私が思っているのは電車の中です。
電車の中で書き物がはかどると言う人は多く、周りの人皆が知らない人なので話しかけられたりせず、思考を妨げられず書くことに集中できるからなのだと思います。

同じ理由でカフェなども書き物に適した場所なのかもしれませんが、カフェで立ったまま書き物をしているのはあまりにも奇異に見られてしまう。
そういえば最近では勉強を禁止しているカフェもあるようです。
書き物が勉強にあたるかどうか議論しても仕方なく、そういうお店ではやはり書き物はし辛い。

ちなみに電車の中で書き物をするときに車両の揺れで文字が乱れるのを気にしてはいけません。机に向かった状態と同じわけにはいかないのですから。
また、電車で座席に座ることができて、これでいつもの状態に近いコンディションで書き物ができると安心してはいけない。
例えば膝の上に机のように鞄を置いて、その上に大判のノートを広げて書こうとしても、電車の振動が紙面に伝わって非常に書きにくい。
ノートなどは手に持ったままで書く方が電車の中での書き物を少しでも快適にするための必要条件です。

立った姿勢であるいは座っていても書きやすいノートとしてWRITING LAB.のメモノートは非常に使いやすいし、私はそのためのノートだと思っています。
短い辺が綴じてある縦長で、ハガキサイズという表紙も中紙も後ろに折り返せるしなやかさのある最小のサイズ、底革は厚くしっかりしたものを使っているなど、立ったままで書くという目的のために全ての素材サイズが機能を持っている。
電車の中で立ったまま書くためには吊革を持たずに揺れに耐えられる足腰と足の位置取りも大切なことです。
無闇に踏ん張らず膝を柔らかく振動を吸収するようにする。
理想的な足の位置取りは走っている時は進む方向に向かって、止まる時や走り出す時は進行方向に垂直にすると、かなり快適に電車の中で快適に書くことができます。
足の位置を移動させることが無理なら、進行方向に対して斜めに構えるとカーブの揺れにも、発車停車のショックにも耐えられる。
ちなみにこういう時の鞄はシュルダーストラップ付に限りますね。

余計な話が続いてしまいました。
電車の中や立ったままの姿勢で使いやすいメモ帳/ノートとして、WRITING LAB.のサマーオイルメモノートがあるわけですが、同じくそのような条件で使うのに適した万年筆はパイロットのキャップレスだと多くの人も同意して下さると思います。
キャップを外さなくてもいいということは片手でノートを持った状態でも書き始めることができ、仕舞うことができる。
キャップレスシリーズは何種類かのものがありますが、それぞれ役割が違うと私は思っています。

立ったままや電車の中などで書くための携帯用にはキャップレスデシモが最適で、キャップレスが50年近い歴史の中でたどりついた答えだとさえ思えます。
スリムで軽いアルミ製のボディを採用していて、持ち歩くことが前提に考えられているのは、このキャップレスデシモだけなのです。
今まで中間の色のボディだけでしたが、黒、赤など定番売れ筋の色や極細のペン先の追加など、キャップレスデシモの商品力はかなり高まっています。

キャップレスの機能の効用は外出時だけではありません。
例えば会議や打ち合わせの席で人の話を聞いて書く、また聞いて書くということを繰り返すような時。
でもそういう席でガチャガチャと音を立ててペン先をノックして出すのが無粋だと思う人にはキャップレスフェルモがあります。

キャップレスフェルモはノックではなく、尻軸を回転させることでペン先を繰り出しますが、ノック音を出さずにスマートにペン先が出てきます。
ボディのバランスも先端に重心があって立てて筆記するのに向いているノック式のキャップレスに対して、フェルモは少し後ろに重心がありますので中心部周辺を握って寝かせて筆記する人にも向いています。
ボディカラーも落ち着いた色のものが用意されていて、思考のためという個人的な道具であるキャップレスデシモに対して、フォーマルなものに仕上がっています。

万年筆を使いだすと何でも万年筆で書きたくなりますが、すぐに書き出せる機能性が増えると、ますます万年筆を使えるシーンが多くなったと思います。

⇒パイロットキャップレス(パイロットTOPへ)cbid=2557105⇒パイロットキャップレス(パイロットTOPへ)csid=13″ target=”_blank”>⇒パイロットキャップレス(パイロットTOPへ)