刀匠 藤安将平の卓上小刀

刀匠 藤安将平の卓上小刀
刀匠 藤安将平の卓上小刀

私たち物作りや販売に携わる人間は、常にこういうものを見て、その姿形だけでなく、物作りの作法を肝に命じておかなければならないと思っています。

私たち販売者が作法に則ったものをお客様に紹介ければ、作法は失われていきます。
世の中何でもありで、常識にとらわれてはいけないという言い方もありますが、それは時勢など移り変わるものに対してで、物作りに対しては外してはいけない道理がありますし、守らなくてはいけない作法があります。

それらは明文化されているわけではありませんが、日本人が皆潜在的に持っている、そのDNAに刷り込まれているものなのかもしれません。

作法の姿形を知るのに伝統工芸のものは良いお手本になってくれます。それらを見ることによって、身近に置くことによって、無作法なことをしないようにしたいと思っています。
私たちは刀鍛冶の仕事をすごいと思うし、日本刀に美しさや芸術性を認めて良いイメージを持っています。

誰もが素晴らしいと思うけれど、最も生活から遠いもののひとつが日本刀だと思いますし、私も刀匠という仕事の人が存在していることにリアリティを持てませんでした。
でもその仕事を知って、後世に伝え残していかなければいけない技術だと思いました。

この卓上小刀は、正倉院にも保管されている刀子(とうす)をルーツに持つ、武士が刀とともに携帯した小柄小刀の刀身を短くし、現代でも持ち歩けるようにしたものです。
刀身は鋼の中の厳選された部分である玉鋼(たまはがね)。
朴の木(ホウノキ)の鞘の鯉口部分(鞘の入り口)は花梨、柄頭は櫨(ハゼ)、柄は黒柿の真黒と全てに最高の素材が使われています。

こういった行き届いたものを見て、触ることは万年筆を知ることにも繋がると思いました。

例えば本体を鞘に仕舞う時、コクンと鞘が本体をつかむような感触がわずかに手に伝わりますが、これはキャップの締まり具合のお手本になる。
切りやすい刃物ならカッターナイフの方が簡単に手軽に切れるかもしれませんし、手入れも刃を折って捨てるだけです。
でも何度も例えば紙を切ってコツがつかめてくると、切れ方に「味」があることが分かります。
この味を知ると今まで使っていたものがとても味気のないものに感じられる。

書きやすい筆記具ならいくらでもあるし、万年筆の中にも手軽に簡単に気持ち良く筆記できるものがあります。
でもそれらの中でも味を持っているものはどれくらいあるのだろうかと考えます。
実用的な理由があって使われる素材や製法など、万年筆作りでも考えなければならないものだと思います。

この小刀は、福島県の刀匠藤安将平(ふじやすまさひら)が鋼の鍛錬から鞘の設えまでの全ての仕事をしたもので、日本刀の技術、素材をそのままに、文房具としての刃物に仕立てたものになっています。

藤安刀匠は、人間国宝・宮入行平の高弟で、師の遺志であった日本刀が最も優れていた室町時代以前の刀「古刀」の再現を目指して日々作刀に打ち込まれています。

池波正太郎氏は「万年筆は現代人の刀だ」と言った。腰にある刀によってその武士の品格を見られたように、持っている万年筆によってその人の品格を見られる世の中であって欲しいと思うのは、万年筆店だからこその願いなのかもしれません。

でも私は真剣に、万年筆は我々現代人の刀で、我々の文化的作業である書くということをいかに大切にしているかを表す道具で、精神的には武士の刀と大きく離れてはいないと思っています。

万年筆店に刀鍛冶が作った小刀がある理由はそんな願いと、物作りの作法のお手本を身近に置いておきたいというところなのです。