中二の息子が卒業式で送辞を読むということで先生からお誘いを受け、卒業式を見に行ってきました。
大勢の人を前にしても堂々として落ち着いていて、送辞を読み上げながら涙ぐみ声を詰まらせる「余裕」を見せる彼のしゃんと伸びた背中を見ながら、その成長にとても驚いてしまいました。
親馬鹿になりますが、彼は成績も良く、生徒会の活動でも活躍しているいわゆる優等生で、両親には似ませんでした。
わが家ではダイニングテーブルで仕事や勉強をすることが慣わしとなっていますので、彼のストイックと思えるほどの勉強量はいつも見ていましたし、その彼の直向さに私も逆に影響を受けています。
そんな息子に今までちゃんとした万年筆を贈ったことがなく、周りの人に万年筆の良さを広めようと努力されている皆様から見ると意外に思われるかもしれません。
私自身、万年筆を使う人を一人でも増やすということをライフワークとすると宣言しておきながら、自分の息子に万年筆を使わせることができていないことは非難の的になっても仕方ないことです。
しかし、自分が仕事としているものを贈ることへの照れもあって、息子を洗脳することから逃げている訳です。
その息子が志望する高校に入学した時に万年筆を贈りたいと最近思い始めました。
彼の書く量を見ていて、より書くことを楽にしてあげたいという思いと、書くことを楽しむことができる道具万年筆が、私が彼に教えることができる唯一のことだと思いました。
私は小学校高学年でプラチナプレピーを使っていましたが、その後発展していかなかったのは、書き味の良い万年筆の存在を教えてくれる人がいなかったからでした。
だから彼が使うかどうかは別にして、書きやすい金ペン先の万年筆を贈りたいと思いました。
どんなものがいいかいろいろ考えましたが、ラミー2000を思いついたとき、一番ふさわしいような気がしました。
ラミー2000はその存在がいろいろなことを物語ってくれていて、親から息子への無言のメッセージになると思ったのです。
1966年に2000年まで通用するものという目標を掲げ、企画、デザインされたラミー2000は目標通り2000年をとっくに過ぎた今でも古臭さを感じさせず、感覚の新しい若い人からも支持されています。
発売当時、黒いボディに金色の金具の万年筆が主流で、ペーパー加工された銀色の金具の万年筆などなく、かなり異端的に思われたラミー2000は全く売れなかったそうです。
それでもラミーは2000の素晴らしさを信じて辛抱強く作り続け、時代が追いついてくるのを待ちました。
今ではそんなことが嘘のようにラミー2000は現代のデザインに自然に馴染むものになっています。
ラミー2000からは、彼が仕事をするようになった時に、先を読むことや、他人に惑わされないオリジナリティを持つことの大切さ、自分が信じたことを貫く頑固さを持ち続けることを教訓として感じ取ることができると思っています。