
自分が使っているペリカン#800について語り出したら、キリがありません。
この万年筆は30年ほど前に初めて自分で買った万年筆でした。
当時、文具店に就職して3、4年経った万年筆の担当になったばかりの頃だったと思います。
その時私が持っていたのは、叔母から大学の入学祝でもらったインキ止めの万年筆1本だけでした。それは使い方が分からずしまっておいたものを長原宣義先生に使い方を教えていただいて、「もったいないのう」と言われながら手帳用にするために細字に研ぎ出してもらったものでした。
長原先生が研いだ手帳用の万年筆を手に入れてから、それまでも好きだった書くことがさらに好きになり、万年筆に夢中になりました。
万年筆の担当にしてもらったのはそれから1年ほどしか日は経っていなかったかもしれません。
私は大学生の頃ブルースにハマっていて、バイトのお金でレコードばかり買っていました。
就職してからはほとんど聴いていませんでしたが、いつか時間に余裕ができたら以前のように聴こうと思って、狭い団地の部屋の中に結構な場所をとってレコードの入ったダンボールを積みあげていました。
その気持ちは変わっておらず、ブルースにも未練がありましたが、万年筆をもっと知りたいという気持ちの方が強かった。レコードを売って、万年筆を買いました。
初めて買った万年筆はペリカン#800でした。
万年筆の仕事をするからには、万年筆のスタンダードと言われる#800を知っておくことが絶対に必要だと信じていました。
当時はM800と呼ばず#800と表記して、800番と呼んでいました。
でも使い始めた#800はインクの出が渋くて、筆圧を強めに掛けないと書けませんでした。
今ならその症状は、私の筆圧に対して、寄りが強すぎるために起こることだから、寄り加減を少し弱めようと、難なくペン先調整をしますが、当時の私はルーペさえも持っていなくて、なぜインクが出ないのか分かりませんでした。
余談ですが、調整ができなくても、こういう時にはインクを変えてみるという方法もあります。
ペリカンのロイヤルブルーでインクの出が少ないと思ったのであれば、例えばパイロットを入れると普通に書くことができる場合もあります。でも当時の自分にはそんな知識もありませんでした。
当時プラチナ万年筆さんも万年筆クリニックをしていて、後に中屋万年筆の創業メンバーになって、ペン先を担当した渡辺貞夫さんに#800を調整していただき、やっとその#800は滑らかに書けるようになりました。
当時、私は売場で立って接客する立ち仕事をしていましたが、#800をスーツの内ポケットに差し、メモや発注書やFAXを書いて、毎日の仕事で使っていました。
あれから30年が経って、世の中の雰囲気も仕事のやり方も変わり、私も髪も白くなり、体型も丸くなったけれど、800番は変わらずに手元にあって、以前と同じように書くことができる仕事道具のままです。
今思うとレコードを売って万年筆を買った時が私の人生の分かれ道だったのかもしれないと思っています。
そしてそれが#800だったから、今もこうして万年筆に関する仕事をしているのかもしれない、と思っています。