若い頃、家の中がなぜかいつも寒かった記憶があります。
ファンヒーターやエアコンなど便利に使える暖房器具がなく、暖をとるものはコタツが中心だったからなのか、石油ストーブがいつも空だったのか、忘れてしまったけれど。
その反動からか、暖房が必要以上に、あるいは暑いくらいに焚かれていないと心細くなるという性質になってしまいました。
暖房をつけない家では風邪をひきにくい体が丈夫な子供になるかもしれませんが、変なところにその反動がくるのだと自分で分析しています。
寒さが苦手なのは私だけでなく万年筆もですが、寒さに強い万年筆の話です。
万年筆で一番やっかいで、ほとんど唯一のトラブルとも言えるものが、インク漏れです。
最近ではペン芯やボディの構造がしっかり設計されたものが多くなっていますので、書いていて自然にポタリとインクが落ちる、夏目漱石が癇癪を起こしたと言われているようなことは起こりにくくなっています。
しかし、冬にはまた違う理由でインクが漏れる状態に近いことが起こります。
開けるたびにキャップの中にインクが付いているとか、ペン先の根元辺りにたくさんのインクが滲んでいるというようなご相談を集中して受けるのが、冬の間や冬が終わったばかりの時です。
万年筆のインクタンク内がインクで満たされていれば問題ありませんが、インクが減っていて、インクタンクの中にインクと空気両方が入っている場合、冷たい外気に冷やされたタンク内の空気が暖房と手の温もりによって温められて膨張して、インクを押し出します。
これはどの万年筆でも起こりうることですが、ペン芯の設計が新しいと起こりにくいし、ボディが比較的太めのものでは起こらないことが多いと言われています。
どんな万年筆でも、冬場に万年筆を持ち運ぶ時はなるべくペン先が上に向くように固定して、ちょっとしたショックでペン先やペン先の根元に滲んでいるインクが落ちないようにする工夫はされた方がいいと思います。
素材から見た場合、冬でもインク漏れがしにくい万年筆は、ボディが木製やエボナイト製の万年筆です。
それらは温度の伝わり方が緩やかなので、インクタンクの中が急に冷えたり、温まったりしにくい。外気温を内部に伝えにくいので、万年筆内部の温度がある程度安定していると言われていて、同じサイズのボディで木製とエボナイト両方の素材を揃えた2本の万年筆をご紹介します。
パイロットカスタム845はエボナイト素材に漆塗りのボディの万年筆です。
上記の理由で万年筆のボディに適した素材であるエボナイトですが、紫外線や熱、乾燥の影響で変色しやすいという欠点があります。
これを解消したのが、エボナイトに独自の仕上げをして漆を塗るという技術です。
パイロットはこれを80年以上前に確立していて、万年筆に使ってきました。
エボナイトのボディに漆を塗った延長線に蒔絵の万年筆があったと思うと、その発明が日本の万年筆を世界に知らしめたのだと言えます。
カスタム845の大型の18金のペン先は、バネのような弾力があって、高い筆圧でハードに書かれる方でも安心して使うことができるもので、この万年筆が趣味の道具だけではない酷使にも耐える実用の道具であるということ物語っています。
同じペン先を備えた万年筆にカスタム一位があります。
カスタム845と同じプロポーションの万年筆ですが、こちらはイチイの木を圧縮して、目の詰まったものにしており、強度の確保と、手触り良くし、汚れが染み込みにくくしています。
表面加工をしていない自然の木の触感のままなので、使い込んだり、磨いたりして艶を出していく、育てるような楽しみも併せ持ったものになっています。
万年筆には厳しい季節である冬を難なく乗り越えることができる、おそらく実用的には国産最高峰の実力を備えたカスタム845とカスタム一位。
国産ということは、品質的には世界に通用することを誰もが確信していて、国産の万年筆について、特にパイロットについては私たちは顧みないといけないと思うようになりました。
冬だけでなく、1年中愛用していただきたい2本の万年筆からは、メイドインジャパンの誇りが感じられます。