2、30代の頃、ペン先をひたすらルーペを覗いて、思った通りの書き味にしようと肩がコチコチになるまで悪戦苦闘して調整していました。
でも今は、まずペン先を見ると「こういう風にする」というイメージがすぐに出来て、それに合わせるように調整するようになりました。
言い換えると、イメージしてから取り組む心の余裕が出てきました。
若い頃のひた向きさというのはとても素晴らしいけれど、ペン先の調整をするということに関しては、今の自分の方がはるかに多くのことを考えている。
例えば調整するイリジュウムの形を3次元の立体的な形で考えたり、その万年筆を使う人の今の一瞬だけでない、これからの数年間・数十年間のその人とその万年筆との時間まで考慮して調整するようになりました。
それは自分自身が歳をとって、それだけの時間万年筆を使ってきて気付いたこともありますし、たくさんの事例を見てきたということもあります。
そして何より、一時期とらわれてこだわった方法などを自分自身で打ち消して、捨て去ってきたことも良かったのではないかと思っています。
そのように考えると私のような仕事はある程度、それなりの齢にならないとモノにならないと思います。
45歳まで仕事をしてきて思ったのは、20代、30代はひたすら修行して積み重ねたものを40代で何とか形にしていく。そしてそれは50代でやっと完成する、ということ。50代以上のことはあくまでも想像ですが・・・。
40代ではお客様も年上の方がまだ多く、こう書けばもっと書きやすくなるという意見を飲み込んで、いかにその人の書き方に合わせた調整をするかに腐心しているけれど、50代、60代になって、お客様も年下の人が多くなってきたら、調整に関する表現の仕方も変わると思っているし、それが自分の年齢に応じた、自分のできることで世の中の役に立つということだと思っています。
万年筆の調整は言葉に似ていると思うことがあります。
言葉は多ければ良いというものではなく、相手の話をちゃんと聞こうと思ったら必要最低限の、しかも要点を突いたものでないといけない。
言葉を多く発すれば発するほど中身のない余計なことを話してしまい、それを訂正、補足するためにさらに多くの言葉が必要になってきます。
調整も手数(てかず)は少なければ少ないほどいい。
調整を途中で止めるということではなく、最も手数少なく効果的にできる調整を最初にイメージして、その形を実現するようにする。
それが一番難しいことだけど、それが最も良い調整だと今は思っています。