いつかは149

「いつかはクラウン」という言葉が、古いトヨタのコピーにありました。

単純にいつかクラウンを買ってやる、というものではなく、30代40代は分相応なカローラに乗って、社会的に乗ってもいいと認められる地位や年齢になってきたら世間的にやっとクラウンに乗ることを許される。そういう古い日本人的な慎み深さや分相応をわきまえた、シンプルだけど奥行きのある言葉だと思います。

当時の人はいくらクラウンが買えるお金があったとしても、自分がクラウンに相応しいかどうかを気にしていた。それが堅実な生き方というものなのかもしれません。

世の中をそういう風潮にした、自動車メーカーとしては勇気のいるメッセージで、これが文化を作るということだと思う。今ではどんな車でもローンや他の方法で乗ることもできるし、車でその人の格を推し量る時代ではなくなりました。

万年筆においてクラウンにあたるものは、モンブラン149だと思ってきました。

149は特別な機能を備えた万年筆ではない普通の万年筆ですが、格のようなものを感じさせます。

多くの作家がそのタフな仕様を信頼して、自分の仕事を書き記すために愛用したというエピソードもたくさんあって、いつかは149に見合った仕事をしたいと思わせてくれる。古い考え方かもしれないけれど、そういう万年筆ではないかと思います。

10年くらい前に、同年代の古くからのお客様Nさんと自分がどんな立場になったら149を買うかという話をしたことがあり、Nさんは校長になったら149を手に入れたいと言っていました。

肝心な自分が何と言ったかを忘れてしまったけれど、50歳になったら、あるいは店を10年続けることができたら、のどちらかだったと思う。

その時は40代になったばかりで、まだまだ先の話だと思っていたけれど、気がついたらどちらの基準もクリアしていました。

でも今の自分が、当時思った149を手に入れるに相応しい人間なのかは分からない。そうなるように努力はしてきたけれど、変化のない平坦な道を歩いてきて、劇的に何かが変わったというものもありません。私たちの仕事は、自分で自分を評価したり、自分で自分の仕事を作るので、何かをやり遂げたと自分で思った時がタイミングなのではないかと思う。

モノを手にするのにわきまえるという考えなどなくなった今では、若い人が149を手に入れることに対してまだ早すぎるとは思いません。とっくにそういう時代ではなくなっています。

ただ、私とNさんの間において、149はそういうものだったというだけの話です。

Nさんとそういう話をした当時、当店は149、モンブランを扱っていませんでした。でもNさんとの約束を守るためにも149だけは扱えるようになりたいと思っていました。

当店は万年筆ではモンブランも他の万年筆と同じようにペン先調整して販売しています。

長年使い込んで良い書き味に馴らしていくのがメーカーの意図なのだと思いますが、少し調整をして、最初から滑らかに書けるようにしてから使い込んでいくのが、今の時代の万年筆の馴らし方なのかもしれません。

自分のために149を調整する日はいつになるのか分からないし、わきまえるのもいい加減にしないと、使い込む時間がなくなってしまいそうです。

⇒モンブラン149