若い時に自分で初めて買った万年筆はペリカンM800で、その次はアウロラオプティマでした。
モンブランを避けていたのは、当時の「モンブランが万年筆の王道である」という雰囲気が何となく苦手だったからだと思います。
この性格は子供の頃からで、圧倒的に強いもの、誰もが良いというものに反発を覚えて、背中を向けてきました。例えば関西人なら分かると思いますが、ナイターを観ていても必ず巨人の対戦相手を応援するというアンチ巨人ファンでした。
でも考えてみると、自分が嫌だと思って反発するのはそれを一番だと認めているということなのかもしれず、自分はそれに強い憧れのような気持ちを持っているから反発するのではないか、と思い当りました。
万年筆を知っていくうち、当時の巨人と阪神のようにモンブランと他社の間にそんな力の差はなく、ただお酒の銘柄程度の違い、ということが分かってきました。
そう言いながらもモンブランへの反発の気持ちがなくなったわけでもなかったので、私の中では最近までモンブランはこの世の中に存在しないものとしてきたのでした。
でも結局、前にこのペン語りで書いた(2020年10月23日、12月11日)きっかけがあって、モンブラン149を使い始めました。そうして自分のものになった時、武骨なまでにシンプルな仕様が自分のモノの好みに合って、王道のモノだとして制止していた気持ちが決壊してしまいました。
モンブラン149と146という、王道中の王道の万年筆を扱うようになって、長年抑え続けていた想いが溢れてしまった。
すでにモンブランでは在庫がないようですが、他所の店で見たり、お客様が持っているのを見せてもらったことはあって、すごく良いデザインだと思っていたヘリテイジルージュアンドノワールコレクションが入荷しました。
作家シリーズなどの限定品をずっと見ていて、モンブランの自社の過去のペンを現代的にアレンジするセンスがすごいことは分かっていました。
このヘリテイジも、1900年代はじめの頃のモンブランのデザインを復活させたペンで、細身の軸ですがずっしりとした重さがあって、大きな赤地のホワイトスター、スネーククリップがサマになっています。
ファーバーカステルを万年筆とボールペン、あるいはペンシルとセットで持ちたくなる数少ないペンだと思ってきましたが、このヘリテイジルージュアンドノワールも万年筆とボールペンもそうだと思いました。
少し細めのヘリテイジもカステル同様、カンダミサコさんの2本差しペンシースにピッタリ合って、このペンシースによってセットで持つ喜びがより強くなります。
私が王道のものに反発を覚えるのは、きっとそれを王道だからという理由だけで理解せずに持てはやす風潮があるからで、自分はそうはなりたくないという気持ちが王道への反発につながっていたのだと、今なら分析することができます。
モンブランは特別な存在のブランドではないけれど、やはり魅力がある。私はやっと反発せずにそれが言える、感情を超えて分別のある考えができる齢になったということなのかもしれません。