神戸の万年筆店を舞台にした小説について蓮見恭子先生からお話を伺った時、何も読んでいないのに万年筆の業界にとって素晴らしいことが起ころうとしているような気がしました。
今の万年筆の業界にとって最も必要なことはこういうことではないかと思いました。
万年筆はただの書くための道具ではなく、使う人それぞれが自分の万年筆にロマンを感じながら持つものだと思っているので、小説の存在によって、万年筆が持つロマンに気付く人が増えるはずだと思いました。
自分の愛用の万年筆をこの小説の中で見つけられる人もいると思うし、人によっては小説に出てくる万年筆を手に入れたいと思うでしょう。
私もこの小説に出てくるどの万年筆も欲しいと思ってしまったし、テクニカルアドバイザーとして関わらせていただいた記念に何か形に残したいと思っています。
蓮見先生からこの小説のテクニカルアドバイザーにとご依頼があった時、誇らしく思う気持ちと、責任の重大さに恐ろしくもなりましたが、迷うことなく受けさせていただきました。
小説家の先生が書いたパソコン打ち出しの下書きや、ゲラ刷りの状態の原稿を読ませていただいたのは初めてだったし、今回の仕事を通して作家という自分の筆一本で生きている人のすごさを感じました。蓮見先生は普通の主婦が作家になったとご自身で言われるけれど、やはり普通の人ではないと思いました。
私は万年筆という使う人がそのものに思い入れを持って使う唯一無二の存在のものを、ペン先調整を施してさらに特別なものにする自分の仕事が好きで、いつまでもやっていたいと思っているけれど、この小説によって今まで以上に自分の仕事に誇りを持つことができました。
私はその時々に行きたいと思う方へ向かった結果、今の仕事をしています。だから偉そうなことを言える立場ではないけれど、この本を読んだたくさんの若い人が万年筆の調整士というものに興味を持って、なりたいと思ってくれることを望んでいます。この小説はそんな役割も果たすのではないか、この仕事が夢のあるものだと思ってもらえるのではないかとも思っています。
若い調整士が増えたら競合が増えて大変だけど、それも万年筆の業界のさらなる活性化につながるだろう。
今回ご紹介した小説「メディコ・ペンナ〜万年筆よろず相談〜」が出来上がった意義は大きく、さまざまな効果があると思っています。