渋いというモノの価値観は日本以外では通じにくい日本独自の感覚だということを「千利休無言の前衛」(赤瀬川原平著)で読みました。
「無言の前衛」は、私のモノの好みを決定付けてくれた本で、20年ほど前にこの本をたまたま見つけて読んだから今こうしていられる恩人のような本で、名著だと思っています。
この本によって茶道の美意識を知ってから、30代から40代半ばくらいまで茶道というものにハマりました。千利休に関する本を読み漁り、茶道も習いました。
茶道のお道具の中には煌びやかな西洋的な美しさを持ったものもありましたが、より格の高いものになると渋いとしか言いようがない、より高度な審美眼を要求するようなものになってきます。荒々しい素材感があって、作り込まれていないように見えるよう、最大限の注意を払って作り込まれたもの。
それはきれいとボロの間とも言えるものの在り方で、それらのものを渋いと言うのかもしれないと自分なりに思っています。そしてそれを万年筆やステーショナリーの中にも見出したい。
だけどなかなかそういうものはないし、そもそも万年筆にきれいとボロの間のものを求めること自体が難しいことなのかもしれません。少し前に外国のメーカーのさまざまなものできれいとボロの間のものが出始める流行のようなものがあって、定着したらいいなと思いました。
万年筆で言うとファーバーカステルクラシックマカサウッドがそれに当たるし、廃番になってしまいましたがS.Tデュポンディフィでもありました。
きれいとボロの間までいかなくても、素材感の感じられるものがその素質のあるものだと思っています。そして素材感を感じるには、自然の素材である必要があります。パイロットカスタム845、シルバーン、カスタムカエデ、ファーバーカステルクラシックなどが当てはまりますが、その中にパイロットデラックス漆も入っていました。
小振りで慎ましやかな細身の万年筆で、古風な形のペン先は柔らかく、濃淡のある文字を書くことができます。真鍮の軸なので重量もありますが、キャップの尻軸への入りが深いため中心に重量が集中してバランスがいい。
そしてその名の通り軸が漆塗りになっていることで、あまりにもスマートに塗られているので気付かれにくいかもしれません。こういう万年筆を渋い玄人好みの万年筆と言うのだと思いました。
そのデラックス漆が廃番になって、生産終了となっています。
慎ましいデザインとは裏腹に、凝った作りの部品点数が多い万年筆で、クリップもスプリングが仕込まれた可動式です。
漆塗りのキャップ、軸でもあり、もしかしたらコストが見合わなくなってしまったのかもしれません。
こういう存在の万年筆がなくなるのは寂しい。日本のモノ作りの頑なさを感じさせる万年筆だったと思います。