前職で、セーラーの呉・天応工場には何度か行ったことがあります。
はじめは上司が同行して、何度目からか一人で行くようになりました。全部上司がお膳立てしてくれていたと思うと、会社でもいろんな人のお世話になっていたことに改めて思い当たります。
それは今も変わっていなくて、面倒をかけている人の数は増えたかもしれません。仕事というのは一人ではできない。特に私はそうなのかもしれません。
私にとっても天応工場は思い出のある場所でした。
戦後まもなくして建てられた三角屋根の木造の工場の中に、最新式と思えるきれいな機械が並んでいる棟もあって、そのアンバランスさが面白かった。
わりとオープンな雰囲気で、取引先の人の訪問を受け入れてきた天応工場に私と同じように思い出のある業界人は多いと思います。
近年、万年筆のお客様の層、売れる万年筆の種類、字幅、売れ筋のインクの色など、様々なことが変って、時代が変ったことを強く感じていますが、セーラー天応工場の建て替えもそれを象徴する出来事かもしれません。
そんな中で、天応工場の建て替えで伐採された敷地内にあった樹木を万年筆にするというのは粋な企画だと思いました。
生産本数が限定100本とかなり少なかった泰山木(タイサンボク)は入荷が少なく、店頭に並ぶことなくなくなってしまいましたが、生産本数500本の貝塚伊吹(カイヅカイブキ)はまだ在庫があります。
日本の木らしく模様が控えめな大人しい印象の木目の貝塚伊吹ですが、使い込むと色が濃くなって、すごみのある艶を出してくれそうな素材です。
セーラーの万年筆でよく使われる両切りタイプのプロフェッショナルギア型の工場竣工記念万年筆ですが、通常のものよりも尻軸が長めになっていることが特長的です。
これはキャップの尻軸への入りを深くして、キャップを尻軸に差した時に全長を適度に短くすることで、重心を中心に寄せる効果があります。
中心に重心のある万年筆は力を入れずに持つことができてコントロールしやすく、長時間の筆記でも疲れにくい。
ペン先の刻印も定番のものと変えています。旧型のプロフィットのフレーム型の刻印を復活させて、セーラーの歴史を感じさせるものになっています。
この効果を狙ったのかどうか分かりませんが、ペン先の刻印は少ない方がペン先は柔らかくなります。今回の限定品工場竣工記念万年筆のペン先の刻印は定番のものよりもシンプルなものになっていて、書き味は柔らかく感じられます。
キラキラした記念の万年筆らしい華やかな装備を凝らしたものではなく、こういった実用的なことも考慮して作られているどちらかと言うと渋い、使うための万年筆を工場竣工記念万年筆として出してくれるところはとてもセーラーらしいと思いました。
天応工場で日本の万年筆の歴史が作り続けられてきたのをこの貝塚伊吹の木は見てきたのだろうと思うと、この万年筆がとても貴重なものに思えます。