個人的な感覚ですが、以前よりも電車の中で本を読む人が増えたように思います。
少し前までは探してもなかなか見つからなかったけれど、今は周りを見るだけで数人は見つけることができる。
多くの人はスマホを見ていて、本を読む人は少数派だから目立つのだと思いますが、その数少ない本を読む人を見つけると、何となく同志を見つけたような、何の本読んでるの?と話しかけたくなるような嬉しい気持ちになります。
紙の本を読んでいるからどうだ、というわけではないけれど、紙の本を読む人には、読む人の美意識のような、矜持のようなものがあるような気がします。多くの人はスマホを見ているけれど、自分は紙の本を読んでいるというこだわりを感じなくもない。
でもスマホで本を読んでいる人もいて、それが現代の本を読むということなのだと考えると、紙の本にこだわり過ぎるのはただの時代遅れな人間になってしまうのだろうか。
私は「電車の中で本を読むかどうか」という話と近い感覚だと思っているけれど、キャッシュレス決済やスマホ決済を使うか、現金で払うか、というのにもそれぞれの美意識が存在していると思います。
スマホ決済がかなり普及した上に、こんなご時世で外出する機会も減り、財布が売れにくくなっていると言われています。
たしかに財布がなくても、ICOKA(ICカード乗車券)や決済アプリがスマホに入っていれば、どこに行くのにも困ることはありません。
財布にお札と小銭とクレジットカード、定期入れにICOKAとバスカードを入れて持ち歩いて、それで充分やっていくことができていて、これ以上の便利さを必要としていないと言うと、さすが時代遅れな気もします。
だけど何でもスマホひとつで管理するとなると、失くしたりしたときのリスクも大きいと思いますし、コンビニでアメを買うだけで速やかに決済することもないかと、そこまでの必要性を感じていないというのが、私を含めた従来決済派の言い分だと思います。
でも、お金やクレジットカードは財布に、ICOKAやバスカードは定期入れに、という人の言い分のひとつに、モノとしての趣きがスマホと財布とでは大きく違うということがあります。何でも効率的であることが全てではないと思う。
個人的には、スマホよりも愛用の革のウォレットを出して買い物したり、改札を通ったりする方が楽しいような気がしてしまう。
こういうものが繰り返しの毎日に楽しみを与えてくれて、日常生活を張りのあるものにしてくれるのではないかと思います。