昔から地図が好きで、出掛けた先々の駅や観光案内所でその町の地図をもらってきては、大切にファイルしてコレクションしています。
考えてみると地図はずっと好きで、社会科の地図帳は授業中だけでなく、家に帰ってからもずっと見ていました。
地図を見ているといつも何か発見があるし、地図を見ながらその場所がどんなところか想像するのが楽しかった。でも大人になって実際にその場所を見て、想像通りの場所だったことは一度もなかったけれど。
先日、神戸市立博物館に行ってきました。
目的は特別展をしているインド絵画ではなく、市立博物館所蔵で現在公開している神戸の古地図を見るためでした。
市立博物館にはかなりの数の古地図のコレクションがあり、そのうちの4000点ほどは南波松太郎氏が1983年に寄贈したものでした。
南波松太郎氏は戦前、船舶の設計などをしていて、戦後いくつかの大学で教授をした人でした。古地図は趣味で集めていたと思われますが、自身の死後のことを考え、そのコレクションを市立博物館に寄贈したのだと想像しています。
亡くなったのが1995年なので、断捨離をずいぶん前にしたことになります。
神戸の古地図はその膨大なコレクションのほんの一部ですが、見ることができてよかった。
最近父から聞いた話によると、南波松太郎氏は祖父の従兄にあたり、面識もない限りなく他人のような人ですが、赤の他人というほどでもない。集めているものの歴史的な価値など次元は違うけれど、地図を集めていたということで親近感を持ちました。
地図を集めるようになるずっと前、学生の時はブルースのレコードを集めていました。30代はじめの頃に万年筆で生きて行きたいと静かに決心した時に全て売ってペリカンM800を買いました。
万年筆の定番中の定番、全ての万年筆のお手本と言われている万年筆を知ることは、自分にとってとても大切なことだと思いました。
それに、ペリカンは当時の万年筆にありがちなパリッとしたところが感じられず文房具的な道具に見えて、当時の自分の好みに合いました。
人生の新たな局面を迎えたと思った時、コレクションはリセットの対象になるのかもしれません。
はじめM800は自分には大きく感じられ、キャップを尻軸につけて書くと後ろに引っ張られるような気がして、しばらくキャップをつけずに書いていました。しかし数年使って、気が付くとキャップをつけた方がバランスが良く感じられるようになりました。
万年筆を使い始めたばかりの頃、万年筆のバランスに戸惑って、いろいろ持ち方を試行錯誤していました。でも慣れると、どんな持ち方でもバランスの良さは感じられるということが分かりました。
今では最も自然に書くことができる扱いやすい万年筆だと思っています。
20数年前のあの時、M800を買っておいて良かった。万年筆について語る時、よく分かっているM800を基準に語ることができました。お手本を知ったことはその後の自分の仕事においてどんなに助けになったか分かりません。
万年筆で生きていくことを自分に誓った時に、初めて自分で買う万年筆をM800とした見る目に間違いはなかったと今では思っています。